色即是空
カンツメ物語 シリーズ作品集

島唄「カンツメ節」は、薩摩藩に支配された厳しい社会情勢の中で起きた

悲しい恋物語として唄い継がれてきました。

しかし、残虐で哀れな女性「カンツメさん」の悲恋物語としてではなく

崇高な愛に生き、現代の世にも通じる、愛することの尊さを体感できた女性として

新たな視点で、自ら創作した「カンツメ物語」をテーマに制作しています

自然を生かし生き物達を優しく包み込む、

癒しの島:奄美の光(愛)を感じて頂ければ幸いです。


「天と地と」 F15号 油彩画









「カンツメ物語」 作 岬 眞晃


急いで戻らないと女将さんの矢のような視線と

雑言が飛んでくる。


しんと静まりかえった獣道には、覆い被さった草木をこする

音だけが響いていた。


束ねた髪を締め付けるようにテル(背負って運搬するカゴ)

の重さが首にのしかかる。


足下に差し込むぼんやりした月明かりがなおいっそう

静けさを引き立てていた。


カンツメは滑り落ちるような早さで、起伏の激しい崖道を

駆け下りていった。


寝静まった主家の庭先や台所では、

家人(身売りされた人)達が物音をたてないように

気遣いながらも黙々と動き回っていた。


拾い集めたテルいっぱいの木切れを下ろすや、

樽おけを抱え屋敷隅奥の井戸まで小走りに駆け寄り、

天秤棒で水を運ぶのであった。


雨の日も風の日も毎日繰り返される

夜明け前の情景である。



しかし今日はいつもより女将さんの額がピクピクし

神経がぴりぴりしている様子であった。


 時は江戸時代の末期、自然環境の厳しい南の島では、

大海原を背にして山々に囲まれた僅かな耕作地に

小さな集落を作り、
肩を寄せ合うように島人達は

暮らしていた。


薩摩藩による過酷な支配が続き、

この地で取れるサトウキビを原料とする黒糖が

藩にとっても貴重な作物となっていた。


島民達は全ての田畑をサトウキビ畑へと転換させられ、

年貢として厳しい取り立てにあい苦しんでいた。

南の島を襲う台風などの強風豪雨に曝され収穫が減り、

年貢を納めることができなくなると、

泣く泣く我が子を家人(ヤンチュ=奴隷的な身分)として

身売りせざるを得なくなる家が続出していた。


カンツメもこうして十二の歳に家人として売られ、

幾度か転売された後、この主家にやってきたのである。



幼い弟妹たちや日々の暮らしに打ちひしがれた両親を

助けるためとは云え、


生涯を主家のために生き続けなければならない過酷さや、

その意味を理解するには幼なすぎる歳でもあった。

「蝶舞」 F8号 アクリル画

初めて身売りされた先は、東シナ海に面する小さな村で、

すでに三人の家人が働いていた。


こぢんまりとした屋敷で、主家の主人も

小さな島に課せられた厳しい藩の施策には、

一抹の不満を抱いていた。


家人に対しても哀れみを持って家族同様の接し方で

ひっそりとした暮らしの中、


前から居た家人達も、子供のようなカンツメに手とり足とり

仕事の手順を教え、
幼くして売られた哀れな境遇を

いたわる優しさも備えていた。



そんな折り、炊事仕事や辛い畑仕事の時など、

家人仲間が口ずさむ仕事唄を聞きながら、自然に覚えた

島唄を歌い始めるようになっていた。


年頃を迎えつつあったカンツメは、歌詞に込められた

恋の唄なども巧みにこなしはじめ、


自らの楽しみともなっていった。






























 一人娘を幼くして亡くした主家一家と、主人の親である

隠居した爺からは、


家人としての身分を超えた暖かさを感じていた。

屋敷奥で爺の奏でる三味線に合わせ、夜なべ仕事を

続けながら唄うカンツメの声音は、家人仲間を驚かせた。


その美しく通る唄声は、爺の耳にも届き、屋敷奥と

家人小屋に唄掛けの音色が響く事もあったほどである。


こうして人情豊かな主家一家や仲間達に囲まれ、

カンツメは優しさと美しさを兼ね備えた魅力あふれる

女性として成長していった。 



 厳しい自然災害や収穫不良の年なども主家一家と

家人達は、
共々に一丸となって果敢に乗り越えて

きたのであったが、


その年の水不足はあまりにもひどいものであった。

島全体に及ぶ大干魃の被害は、多くの餓死者を出すなど

甚大で収穫が激減していた。

事を重くみた藩は、厳しく取り立てを実施すべく直接代官を

送り込んできたのである。


規模の小さい主家に於いては、代官の命を受けた

島役人達にとっても、
同じ島人としての目こぼしも

容赦できない状況となっていた。


優しかった爺や主家も家人を手放さざるを得なくなり、

それぞれ別の屋敷に売り渡され、

離ればなれとなってしまったのである。



カンツメが売られた次の主家でも、干魃後に襲った

台風による新たな災害の影響を受け没落。


再び転売され、この主家にやって来たのであった。

すでに家人となって六年が過ぎようとしていた。


 幾多の災害や飢饉をも凌いできた今の主家は、

隣村にとどまらず、湾を隔てた村々にもその名を

轟かせるほどの大きな屋敷で、


多くの家人を抱えた大豪農でもあった。

役人達との繋がりも深く、あらゆる困難も巧みに

かいくぐる術も心得ていた。


その日は、隣村にある役場から大勢の役人達を招き

饗宴が催されることになっていた。


そのために家人達はいつもより早い時間から準備に

追われ忙しく立ち働いていたのである。


「カンツメ!ぼやぼやしないで大広間の雑巾がけを

しなさい!」女将さんの張り叫ぶ声が飛んできた。


特にカンツメへの風当たりは激しいものを

含んでいるようでもあった。


旦那さんでもあるこの家の主人が、カンツメを見る視線に

ただならぬものを感じ取っていたからである。


十八歳となり、年頃を迎えつつあったカンツメの明るさと

美貌は、家人仲間の妬みの元ともなっていた。





「光と共に」 F15号 油彩画





















昼間の仕事を済ませ、すでに大広間では十数人の

役人達をもてなす宴が始まっていた。

島では昔から酒の席には欠かせない唄掛け遊びが

習わしであった。

巧みに奏でる三味の音は、唄を追いかけ見事な

バチさばきで皆の者をうならせていた。

時折、仕事唄を口ずさむカンツメの美しい声を知っていた

屋敷の主は、

我が家にも唄達者が居る,と声高く自慢げに申し出て、

カンツメを呼び出した。

忙しく立ち働いていたカンツメは、仕事の手を止め

恐る恐る大広間の縁側を隔てた庭先に進み出て、

ひざまずきひれ伏していた。

主人の命で顔を上げると同時に、それまでざわついていた

宴会場からは、一斉に「うぉー!」と言う何とも云えぬ

感嘆のどよめきが沸き起こり、

その後一瞬静寂に包まれた。


頭上で結われていた長い黒髪はほどかれ、

さわやかな月明かりの元、

そよ風になびき腰の辺りできらきらと輝き

カンツメの美しさをより一段と際だたせている。

三味線のバチを持つ指はあまりの清らかさに動きを止め、

静かな時がいつまでも続くかのようにさえ思われた。

我に返った岩加那(岩樽)は幾分指先が震えるのを

覚えながらも再び曲を奏で始めた。

太く伸びる岩加那の裏声に共鳴するかのような

カンツメの澄み切った唄声は、

夜空の星々を輝かせ、天空に吸い込まれていくように

響き渡っている。

居合わせた者達は酒を酌み交わすのも忘れ、

目を閉じジーッと聞き入る者、

唄に合わせ軽く手拍子をたたく者、息の合った二人の

掛け合いは心に染み入り、木々の緑を一層鮮やかに

彩っていた。

 この世の厳しさを忘れさせ、聞く者を安らぎのある世界に

引き込み、その余韻に浸らせているようでもあった。

楽しかった最初の主家での出来事が脳裏に蘇り、


カンツメは岩加那との唄掛けを巧みに合わせ唄い続けた。

長い時を経て役人達の酔いも進み、

二人だけの掛け合いを楽しむ岩加那は、

最後の曲を唄い始めた。

『あそだんぶんし かんかなしゃれば   一度肌染めりば いきゃしがりかなしゃかや』

(一緒に遊んだだけでこんなに愛おしいのに、

もし貴女と一度肌を染めあえれば、

どんなに愛おしいでしょうか) 
 
【朝花節】

 宴席にいた者達には、酒の酔いや隣同士話す声に

かき消され、ほとんど聞こえてはいなかった。

しかしカンツメには、はっきりと聞き取れ、

ポッとほほを染めつつも岩加那の問いかけに、

身分の違いから返す詩を胸に留め、

うつむいているしか術はなかったのである。



「カンツメ賛歌」 F30号 アクリル画








好きな島唄を思う存分味わわせてもらった喜びは、

辛く苦しい家人生活にとって思いもかけない

嬉しい出来事であった。


しかしその日以来、大勢居る家人仲間からは、

美しさゆえのみならず、


主人からの厚遇に羨望の混じった嫉みの視線が

より一層強くなっていった。


一時の休むいとますら与えようとはしない

女将さんの怒号はカンツメをますます苦しめ、


厳しく辛い日々へと追い込んでいったのである。

木々で擦れた手足の傷をかばいつつ、

癒す間もなく新たに開く傷口の痛みや、


肩に食い込むテルの重みに耐えながら、

その日も山野を駆け巡っていた。


数日前に訪れた隣村で、唄を掛け合った時の出来事は、

岩加那にとっても忘れられない胸の高鳴りとして

今だに鮮明に蘇っていた。



岩加那は親の代から続く役場勤めを始めて六年が過ぎ、

重要な役目もこなす有望な若者として、人望も集め

将来を嘱望されていた。


祖父から教わった三味線の腕もめきめきと上達し、

仕事柄訪れる村々では、
唄好き三味線上手と云われる

老人達とも親しくなっていった。


山を隔てた隣村同士では、同じ曲でも言葉使いや

唄い方が微妙に異なり、


それぞれに個性があり独特で、三味線を操るには

至難の業が要求された。


しかし岩加那は持って生まれた器用さで、あらゆる弾き方

をこなせるほどに腕を上げていたのである。














役場の仕事で隣村へ向かう峠を越え、

下りの山道にさしかかった頃であった。

木々の隙間から風に乗って、かすかに届く懐かしさに

満ちた唄声が鳥のさえずりのように流れてきた。


聞き覚えのある声色に足を止め、姿の見えぬ声の方角に

目を見やりながら、
上の句に聞き入っていた。

次第に近くなる唄声に合わせ、下の句を唄ってみた。


畝を越えた谷の沢で、

はっとして顔を上げた姿を岩加那は見逃さなかった。

やはりその声主はあの時の長い黒髪の女性であった。

一目散に駆け下りていくと、そこには忘れもしない

カンツメが、
あっけにとられた表情でたたずんでいた。

 「先日の夜は楽しかったね」息を切らし明るく話しかける

岩加那の声に押され、


一歩後ずさりをしながら深く頭を下げた。さらに続けて

「唄が上手なんだね!どこで覚えたの?」


たたみかけるような親しげに話しかける岩加那に圧倒され、

声も出せずカンツメは無言のままうつむいていた。

周囲に視線を走らせ家人仲間のいないことを確かめながら

カンツメをその場に座らせて、


腰にぶら下げたお茶の入った竹筒を勧めた。

こんなところを誰かに見られたなら女将さんに告げられ、

ただではすまされない。肩をすぼませ、お茶を断り

ひたすら下を向き続けるのであった。


岩加那は空を見上げ太陽の位置を計り、

これから向かう仕事先のことを手短に話した。

帰りは暗くなるけど、この山頂近くにある、

今は使われていない炭焼き小屋で待っている。

遅くなっても良いので来て欲しい、と誘うのであった。

カンツメは顔を赤らめながらもその山小屋の近くを

何度か通ったこともあり、
場所は知っていたので

黙って小さく頷き、
それでも顔は

足下を向いたままであった。


うなずいたのを見届けると、

岩加那は優しくほほえみながら

立ち上がり、山道へと戻っていった。


















「きっとだよ!」と手を振りながら小走りに急な坂道を

駆け下りていく後ろ姿には、
喜びに満ちあふれ、

まるで宙空を舞い、弾むようなうれしさが伝わってきた。


初めて経験する男の人との二人きりの会話であった。

一言も発することの出来なかったカンツメの心には、

暖かなものが胸一杯に染み渡り、身体全体が熱く

火照るような初めての感覚を味わっていた。



山を下りながら首や肩にのしかかるテルの重さも、

今日に限ってふわふわと軽々しく感じられた。

切り傷の痛みも薄れ、引きずるように重かった足取りも、

誰かが後ろから支えてくれているのでは、と思わせるほど軽やかであった。

−−−−−−−−−−−


「どこをほっつき歩いていたの!早く水をくんできな!」

屋敷に戻るや否や鬼のような形相で

女将さんの怒声が飛んできた。


一瞬身体が反応しビクンとしたのだが、

目の前には笑顔で手を振る

岩加那の優しい眼差しが浮かび上がり、


穏やかに受け止め、素直になれる不思議な安らぎを

実感していた。


悪魔のような顔つきで罵倒されても、

岩加那の微笑む口元や、

いたわるように澄み切った声が全てを覆い、

女将さんの大きな声も遙か彼方から聞こえる山彦のように

小さく感じられたのである。


家人仲間から浴びせかけられる冷たい視線も

カンツメの身体を突き抜け何の痛みや抵抗もなく

通り抜けていくようであった。


風になびく木の葉の振る舞いや、

つまずいて転がる小石の様など


、何を見てもうきうきと楽しく感じられる。

今はただ全ての仕事を終え、

早く眠りにつく時が来て欲しい。


身体全体がふんわりとした金色の雲に覆われ

祝福されているような感覚を味わい、


指先から足のつま先、髪の毛の一本一本まで喜びに

包み込まれているような気分に浸っていた。



























年の若いカンツメが寝床に潜り込めるのは、

家人仲間も寝静まった後である。


厠に立つ素振りで足音に気をつけながら屋敷を

抜け出せたのは、満月に近い大きな月が

真上にさしかかる頃であった。

岩加那ヤクメ(敬称)は遅くなっても待っている

と云っていたけど、本当に待っていてくれるだろうか?


もうこんなに遅くなって辺りには生き物の気配すら

漂っていない。

月明かりに照らされ夜露に湿った道とは呼べぬ

山の細道は、昼間と違いザクザクという音だけを

こだまさせ、カンツメの不安な思いを

かき立てているようでもあった。


きっと待っていてくれる。

あの宙空を舞うように降りていった岩加那の後ろ姿を

何度も思い出しながら、


ひたすら山頂を目指していた。

近づく音に驚いた小鳥達は、眠りを妨げられ

羽をばたつかせながら、木の葉を振り散らしている。

「もうすぐ逢える。きっと待っていてくれる。」

自らに言い聞かせるように小さな声でつぶやきながら、

息を切らせ道無き道を登り続けていた。

わらじの細いひもが、指の隙間に深く食い込み

擦れるたびに赤く染まっていく。

後二つ畝を超えると小屋が見えるはずである。

もうすぐ逢える、もうすぐだ!と思ったその時、

目前の畝の頂辺りに小さな明かりが揺れているのが

微かに見えた。

「岩加那ヤクメ!」絞り出すような声で、

名を呼びながら走り出した。

遠くに見えていた僅かな明かりも、

次第に大きくなり右に左に揺れながら近づいてくる。

「カンツメー!」確かにあの人の声である。

血の吹き出す足指の痛みも忘れ、

渾身の力を込めて山野を蹴る。

「岩加那!岩加那ヤクメ!」つぶやくように小さかった声も、

次第に大きくなり絶叫のようになっていった。

 岩加那も月明かりにうっすらと浮かぶカンツメの姿を

見つけ、手にした提灯の明かりが消えるのも構わず、

全力で走り出していた。

やっとの思いでたどり着き、本当に待っていてくれた

喜びと、安心感で全身から力が抜けていき、

カンツメは倒れ込むように岩加那の胸へと

飛び込んでいった。


『曲がりょ高頂に ちょうちんぬぐゎば灯ち

      うりが明かがりば 忍ぬでぃ いもれ』

(曲がりくねった、高い峠の頂きに、

提灯を灯して待っています。

その明かりを目印に、忍んで来て下さい。)

【曲がりょ高頂節】














私だけがこんなに幸せであって良いのだろうか?

家人として売られて六年余の歳月が過ぎ、

別れて以来一度も会ったことのない父や母は?

弟や妹たちはどうしているだろう。


隣で寝息をたてて眠る愛しい岩加那を見つめながら、

夜明け前の薄暗い空を視線は漂っていた。


明るくなる前に山を下りなければ。

そっと岩加那を揺り動かし、目覚めさせた。

不思議と岩加那と過ごした後は、

身体の隅々まで力が行き渡るように感じ、

長時間の過酷な労働にも耐えられるような気がしていた。

別れを惜しむかのようにしっかりと抱擁を重ね、

腰まで届く長い髪を頭上で結び始めた。


「カンツメ!愛しているよ!」

反対側の斜面を降りる岩加那の声に、

振り返りながら手を振り、


後ろ髪を引かれる想いを残しつつ急ぎ足で

暗い山道を降りていった。



いつものように忍び足で屋敷に入ろうとした時であった。

 「何処に行っていたんだ!」

低く押し殺したような声に、

一瞬にして全身が硬直し足の動きが止まった。

その足にはご主人様の闇夜に光る白い視線が

突き刺さっているような錯覚を覚えた。


特別に目をかけいつかは我がものにせんと企んでいた

主人にとって、
カンツメが夜な夜な屋敷を抜け出し、

夜明け前になると忍び足で戻ってくる。

何処に行っているんだろうね?と言う

家人達の噂話を聞きつけ、


密かに一人で待ち伏せをしていたのである。


おどおどと尻込みするカンツメの腕を鷲掴みにすると、

別棟の納屋へと引きずるようにして押し込み

ランタンを柱に下げて、内錠をかけた。


おびえた表情で全身を震わせ、

懇願し後ずさりするカンツメのほどけた長い黒髪を

引き回し、
床へと押し倒した。

口を塞がれ覆い被さる男の力に激しく抵抗するが、

若い乙女の力では抗することも叶わなかった。

爪を立てられ、腕の歯形に怒りを倍増させたご主人は、

力の限り拳を振り下ろしたのである。





































































「カンツメ節考」 S80号 油彩画





























「カンツメ節の彼方」 F30号 アクリル画

























異様な物音に目を覚ました女将は、

音のする方へと棍棒を両手でぎゅーっと握り、

恐る恐る近づいていった。

夜ごとの不振な行動をするカンツメの噂は

女将の耳にも届き、


カンツメが盗みを働いているに違いないと

思いこんでいたのである。


つま先を立てて納屋の小窓から中をのぞき込んでみた。

なんとそこで目に映ったものは、

薄明かりに浮かぶ、主人のあられもない無様な姿と、

激しく抵抗するカンツメの憎悪に満ちた哀れな瞳であった。

思いもかけない主人の痴態を目撃してしまった女将は

その場にへなへなと足下から崩れ落ちていった。



 事を済ませ居丈高に立ち上がったご主人様は、

鋭い眼光で見下ろしながら、

泣き疲れ瞬きもせず呆然と一点を凝視したままの

カンツメを残し、
音も立てずに母屋へと立ち去っていった。

主人が帰る気配を感じ取った女将は、

カンツメの横たわる側へと入っていった。

「よくも主人をたぶらかしてくれたわね!」

理不尽な言葉を投げかけながら、

抵抗もできず横たわるカンツメめがけ、

棍棒を振り下ろしたのである。


主人へと向けることの出来ない怒りは、

恨みのこもった棍棒の重みとなって、

身も心も傷つき避けることもままならない

カンツメへと向けられたのである。


家人の身分ではただひたすら耐え偲び、

歯を食いしばることしかできなかった。

刃向かうことは死を意味することでもあった。

早く朝の支度をしてきなさい」

はーはーという荒い息に混じって怒声が傷口に響く。

腕や脇腹、太股やすねは青く膨れあがり、

至る所か血が滲んでいた。

唇は切れ、美しかった面影は微塵もなく打ちのめされ、

足を引きずりながら、たもとを合わせ

家人小屋へと戻っていった。

あまりの変わりように冷たかった仲間達も、

同情を寄せ、いたわる素振りを見せていた。

しかし、後を追いかけ小屋へとやってきた女将は

尚も仕事を命じたのである。



『岩加那ー。岩加那ヤクメー!』

カンツメは、夜明け前に笑顔で別れた愛しい人の名を

心の中で叫び続けることしか出来なかった。

朦朧とする意識のままに、テルを担ぎ引きずるような

足取りで笹の茂る山道を登っていた。

棍棒による傷の痛みに耐えながら、

急な坂道の石段を越えようとしたその時であった。

より激しく強い痛みが下腹部を締め付け、

ねじられるような苦しさに意識が遠のき足を滑らせ

そのまま沢へと転がり落ちていった。

何時間が過ぎたのだろう。

ふと気が付いた時は、陽も西へと傾き、

追い打ちをかけるように小雨がぱらつき始めていた。

身を襲った状況に気づかぬまま

立ち上がろうとした足下には、下腹部から流れ出た

大量の液体が真っ赤に枯葉を染めていた。


「あー岩加那ー!」

呻きとも叫びともつかない声が漏れ出てきた。

「岩加那ー!許して!」

身体の異変に気がついたカンツメはその場に泣き崩れ

慟哭していた。

この二ヶ月余り、月のものが遅れていて、

愛しい岩加那との子供を宿していることを確信し、

胸躍らせていたからであった。

岩加那との大切な絆でもある新たな命が流れ去り、

二人に授かった結晶の存在すら

告げることも出来なかった。

今となってはもう総てが消え失せ、

岩加那との愛の証をも無くしてしまった。

カンツメに残された道は限られていた。



全身の痛みに耐えながら這うように

山頂の小屋へとたどり着き、

楽しかった岩加那との逢瀬の思い出が

走馬燈のように脳裏を駆け巡る。

愛しい人への詫びる心と高鳴る想いを胸に秘め、

黄泉の国へと旅立つ決意を固めたのである。

カンツメは、最後の力を振り絞り、岩加那への想いを込めて唄い始めた。
 


『あかす世や暮れて 汝や夜や明ける  

果報節のあらば また見逢そ』

(あの世は暮れて あなたの世は明けます 

よい時代がきたら またお逢いしましょう)

【カンツメ節】



その清らかな唄声は闇夜の山々に幾重にもこだまして、

その想いは時を隔てた現在でも、

人々の心に響き渡り涙を誘うのであった。




エピローグ



時代と共に世の中は移り変わっていく。

変わることのない心模様を

表現する事で、

人はどこから来て、

どこへ行こうとしているのか。

何のために生まれ

生きなければならないのか。

絵を描き続けることでその答えが

見つかると信じていました。

生まれ故郷である島の自然や

伝統文化に触れ、

生活する内、ここには都会にはない

宝物が有るように感じ始めました。

島に伝わる民衆の悲哀が詰まった

島唄には、描きたかった世界が

奥深く広がっています。

過去にも一度描き始め、中途で断念した

こともある島唄「カンツメ節」の絵画作品も、

少しづつではあるが描き続ける事が

出来るようになりました。

30年前、途中で挫折したのは、

伝え知る「カンツメ」の物語には、

過酷な時代の悲劇ばかりが強調され、

女としての喜びを知ったカンツメの姿が

見いだせなかったからなのかも

知れません。

短かろうとも人生の辛苦のみならず、

人を愛する事の尊さや幸せを、

身をもって体験した素敵な女性として

カンツメを描きたい。

岩加那に愛され、過重な労働の後でも

険しい山道を、心弾ませて愛しい人と

至福の時を過ごすために

夜ごと忍んで登る。

夜が白み朝焼けの美しい空を

恨めしく思い、

恋しい人の肌のぬくもりからは、

いつまでも離れたくない。

朝がこないで欲しい、

時が永遠にこのまま

止まっていて欲しい。

あの人を想うだけで

身体が疼くように熱くなり、

雇い主の辛い仕打ちさえも

忘れさせてくれる。

愛しい人に想いを馳せる、

カンツメの喜びの姿を表現したい。

女性としての悲哀と至福感・・・。 

カンツメと岩加那が好んで

唄っていたと云われる唄。

『だちがいもゆる色白めらべ 

はんめぬねだなしゅてぃ 

はんめとめがど行きゅる

はんめや吾がとめておせれば 

吾たりだんだん哀れ語ろや』


(何処にいらっしゃるのですか、

きれいな娘さん。

食べ物がないので、

それを求めに行きます。

食べ物は私が上げます程に

之からふたりして語り合いましょう。)

  【飯米取り節】


カンツメ亡き後、そのお墓に花を供える

岩加那さんの姿を偲んで

『岩加那−ヤクメ だかちが いもりゅる 
岩加那−ヤクメ   

花くりが− カンティミが 墓いじ 

花くりが』

(岩加那さん どちらに 

行かれるのですか 

岩加那さん 花を生けに 

カンツメの墓へ花を手向けに行くのです)

【岩加那節(いそ加那節の曲で)】



  ・・・合掌。


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