「天と地と」 F15号 油彩画 |
「カンツメ物語」 作 岬 眞晃
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時は江戸時代の末期、自然環境の厳しい南の島では、 |
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「蝶舞」 F8号 アクリル画 |
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「光と共に」 F15号 油彩画 |
昼間の仕事を済ませ、すでに大広間では十数人の 役人達をもてなす宴が始まっていた。 島では昔から酒の席には欠かせない唄掛け遊びが 習わしであった。 巧みに奏でる三味の音は、唄を追いかけ見事な バチさばきで皆の者をうならせていた。 時折、仕事唄を口ずさむカンツメの美しい声を知っていた 屋敷の主は、 我が家にも唄達者が居る,と声高く自慢げに申し出て、 カンツメを呼び出した。 忙しく立ち働いていたカンツメは、仕事の手を止め 恐る恐る大広間の縁側を隔てた庭先に進み出て、 ひざまずきひれ伏していた。 主人の命で顔を上げると同時に、それまでざわついていた 宴会場からは、一斉に「うぉー!」と言う何とも云えぬ 感嘆のどよめきが沸き起こり、 その後一瞬静寂に包まれた。 頭上で結われていた長い黒髪はほどかれ、 さわやかな月明かりの元、 そよ風になびき腰の辺りできらきらと輝き カンツメの美しさをより一段と際だたせている。 三味線のバチを持つ指はあまりの清らかさに動きを止め、 静かな時がいつまでも続くかのようにさえ思われた。 我に返った岩加那(岩樽)は幾分指先が震えるのを 覚えながらも再び曲を奏で始めた。 太く伸びる岩加那の裏声に共鳴するかのような カンツメの澄み切った唄声は、 夜空の星々を輝かせ、天空に吸い込まれていくように 響き渡っている。 居合わせた者達は酒を酌み交わすのも忘れ、 目を閉じジーッと聞き入る者、 唄に合わせ軽く手拍子をたたく者、息の合った二人の 掛け合いは心に染み入り、木々の緑を一層鮮やかに 彩っていた。 この世の厳しさを忘れさせ、聞く者を安らぎのある世界に 引き込み、その余韻に浸らせているようでもあった。 楽しかった最初の主家での出来事が脳裏に蘇り、 カンツメは岩加那との唄掛けを巧みに合わせ唄い続けた。 長い時を経て役人達の酔いも進み、 二人だけの掛け合いを楽しむ岩加那は、 最後の曲を唄い始めた。 『あそだんぶんし かんかなしゃれば 一度肌染めりば いきゃしがりかなしゃかや』 (一緒に遊んだだけでこんなに愛おしいのに、 もし貴女と一度肌を染めあえれば、 どんなに愛おしいでしょうか) 【朝花節】 宴席にいた者達には、酒の酔いや隣同士話す声に かき消され、ほとんど聞こえてはいなかった。 しかしカンツメには、はっきりと聞き取れ、 ポッとほほを染めつつも岩加那の問いかけに、 身分の違いから返す詩を胸に留め、 うつむいているしか術はなかったのである。 |
「カンツメ賛歌」 F30号 アクリル画 |
好きな島唄を思う存分味わわせてもらった喜びは、 辛く苦しい家人生活にとって思いもかけない 嬉しい出来事であった。 しかしその日以来、大勢居る家人仲間からは、 美しさゆえのみならず、 主人からの厚遇に羨望の混じった嫉みの視線が より一層強くなっていった。 一時の休むいとますら与えようとはしない 女将さんの怒号はカンツメをますます苦しめ、 厳しく辛い日々へと追い込んでいったのである。 木々で擦れた手足の傷をかばいつつ、 癒す間もなく新たに開く傷口の痛みや、 肩に食い込むテルの重みに耐えながら、 その日も山野を駆け巡っていた。 数日前に訪れた隣村で、唄を掛け合った時の出来事は、 岩加那にとっても忘れられない胸の高鳴りとして 今だに鮮明に蘇っていた。 岩加那は親の代から続く役場勤めを始めて六年が過ぎ、 重要な役目もこなす有望な若者として、人望も集め 将来を嘱望されていた。 祖父から教わった三味線の腕もめきめきと上達し、 仕事柄訪れる村々では、唄好き三味線上手と云われる 老人達とも親しくなっていった。 山を隔てた隣村同士では、同じ曲でも言葉使いや 唄い方が微妙に異なり、 それぞれに個性があり独特で、三味線を操るには 至難の業が要求された。 しかし岩加那は持って生まれた器用さで、あらゆる弾き方 をこなせるほどに腕を上げていたのである。 |
役場の仕事で隣村へ向かう峠を越え、 |
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「きっとだよ!」と手を振りながら小走りに急な坂道を |
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年の若いカンツメが寝床に潜り込めるのは、 家人仲間も寝静まった後である。 厠に立つ素振りで足音に気をつけながら屋敷を 抜け出せたのは、満月に近い大きな月が 真上にさしかかる頃であった。 岩加那ヤクメ(敬称)は遅くなっても待っている と云っていたけど、本当に待っていてくれるだろうか? もうこんなに遅くなって辺りには生き物の気配すら 漂っていない。 月明かりに照らされ夜露に湿った道とは呼べぬ 山の細道は、昼間と違いザクザクという音だけを こだまさせ、カンツメの不安な思いを かき立てているようでもあった。 きっと待っていてくれる。 あの宙空を舞うように降りていった岩加那の後ろ姿を 何度も思い出しながら、 ひたすら山頂を目指していた。 近づく音に驚いた小鳥達は、眠りを妨げられ 羽をばたつかせながら、木の葉を振り散らしている。 「もうすぐ逢える。きっと待っていてくれる。」 自らに言い聞かせるように小さな声でつぶやきながら、 息を切らせ道無き道を登り続けていた。 わらじの細いひもが、指の隙間に深く食い込み 擦れるたびに赤く染まっていく。 後二つ畝を超えると小屋が見えるはずである。 もうすぐ逢える、もうすぐだ!と思ったその時、 目前の畝の頂辺りに小さな明かりが揺れているのが 微かに見えた。 「岩加那ヤクメ!」絞り出すような声で、 名を呼びながら走り出した。 遠くに見えていた僅かな明かりも、 次第に大きくなり右に左に揺れながら近づいてくる。 「カンツメー!」確かにあの人の声である。 血の吹き出す足指の痛みも忘れ、 渾身の力を込めて山野を蹴る。 「岩加那!岩加那ヤクメ!」つぶやくように小さかった声も、 次第に大きくなり絶叫のようになっていった。 岩加那も月明かりにうっすらと浮かぶカンツメの姿を 見つけ、手にした提灯の明かりが消えるのも構わず、 全力で走り出していた。 やっとの思いでたどり着き、本当に待っていてくれた 喜びと、安心感で全身から力が抜けていき、 カンツメは倒れ込むように岩加那の胸へと 飛び込んでいった。 『曲がりょ高頂に ちょうちんぬぐゎば灯ち うりが明かがりば 忍ぬでぃ いもれ』 (曲がりくねった、高い峠の頂きに、 提灯を灯して待っています。 その明かりを目印に、忍んで来て下さい。) 【曲がりょ高頂節】 |
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私だけがこんなに幸せであって良いのだろうか? |
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「カンツメ節考」 S80号 油彩画 「カンツメ節の彼方」 F30号 アクリル画 |
早く朝の支度をしてきなさい」 はーはーという荒い息に混じって怒声が傷口に響く。 腕や脇腹、太股やすねは青く膨れあがり、 至る所か血が滲んでいた。 唇は切れ、美しかった面影は微塵もなく打ちのめされ、 足を引きずりながら、たもとを合わせ 家人小屋へと戻っていった。 あまりの変わりように冷たかった仲間達も、 同情を寄せ、いたわる素振りを見せていた。 しかし、後を追いかけ小屋へとやってきた女将は 尚も仕事を命じたのである。 『岩加那ー。岩加那ヤクメー!』 カンツメは、夜明け前に笑顔で別れた愛しい人の名を 心の中で叫び続けることしか出来なかった。 朦朧とする意識のままに、テルを担ぎ引きずるような 足取りで笹の茂る山道を登っていた。 棍棒による傷の痛みに耐えながら、 急な坂道の石段を越えようとしたその時であった。 より激しく強い痛みが下腹部を締め付け、 ねじられるような苦しさに意識が遠のき足を滑らせ そのまま沢へと転がり落ちていった。 何時間が過ぎたのだろう。 ふと気が付いた時は、陽も西へと傾き、 追い打ちをかけるように小雨がぱらつき始めていた。 身を襲った状況に気づかぬまま 立ち上がろうとした足下には、下腹部から流れ出た 大量の液体が真っ赤に枯葉を染めていた。 「あー岩加那ー!」 呻きとも叫びともつかない声が漏れ出てきた。 「岩加那ー!許して!」 身体の異変に気がついたカンツメはその場に泣き崩れ 慟哭していた。 この二ヶ月余り、月のものが遅れていて、 愛しい岩加那との子供を宿していることを確信し、 胸躍らせていたからであった。 岩加那との大切な絆でもある新たな命が流れ去り、 二人に授かった結晶の存在すら 告げることも出来なかった。 今となってはもう総てが消え失せ、 岩加那との愛の証をも無くしてしまった。 カンツメに残された道は限られていた。 全身の痛みに耐えながら這うように 山頂の小屋へとたどり着き、 楽しかった岩加那との逢瀬の思い出が 走馬燈のように脳裏を駆け巡る。 愛しい人への詫びる心と高鳴る想いを胸に秘め、 黄泉の国へと旅立つ決意を固めたのである。 カンツメは、最後の力を振り絞り、岩加那への想いを込めて唄い始めた。 『あかす世や暮れて 汝や夜や明ける 果報節のあらば また見逢そ』 (あの世は暮れて あなたの世は明けます よい時代がきたら またお逢いしましょう) 【カンツメ節】 その清らかな唄声は闇夜の山々に幾重にもこだまして、 その想いは時を隔てた現在でも、 人々の心に響き渡り涙を誘うのであった。 エピローグ時代と共に世の中は移り変わっていく。 変わることのない心模様を 表現する事で、 人はどこから来て、 どこへ行こうとしているのか。 何のために生まれ 生きなければならないのか。 絵を描き続けることでその答えが 見つかると信じていました。 生まれ故郷である島の自然や 伝統文化に触れ、 生活する内、ここには都会にはない 宝物が有るように感じ始めました。 島に伝わる民衆の悲哀が詰まった 島唄には、描きたかった世界が 奥深く広がっています。 過去にも一度描き始め、中途で断念した こともある島唄「カンツメ節」の絵画作品も、 少しづつではあるが描き続ける事が 出来るようになりました。 30年前、途中で挫折したのは、 伝え知る「カンツメ」の物語には、 過酷な時代の悲劇ばかりが強調され、 女としての喜びを知ったカンツメの姿が 見いだせなかったからなのかも 知れません。 短かろうとも人生の辛苦のみならず、 人を愛する事の尊さや幸せを、 身をもって体験した素敵な女性として カンツメを描きたい。 岩加那に愛され、過重な労働の後でも 険しい山道を、心弾ませて愛しい人と 至福の時を過ごすために 夜ごと忍んで登る。 夜が白み朝焼けの美しい空を 恨めしく思い、 恋しい人の肌のぬくもりからは、 いつまでも離れたくない。 朝がこないで欲しい、 時が永遠にこのまま 止まっていて欲しい。 あの人を想うだけで 身体が疼くように熱くなり、 雇い主の辛い仕打ちさえも 忘れさせてくれる。 愛しい人に想いを馳せる、 カンツメの喜びの姿を表現したい。 女性としての悲哀と至福感・・・。 カンツメと岩加那が好んで 唄っていたと云われる唄。 『だちがいもゆる色白めらべ はんめぬねだなしゅてぃ はんめとめがど行きゅる はんめや吾がとめておせれば 吾たりだんだん哀れ語ろや』 (何処にいらっしゃるのですか、 きれいな娘さん。 食べ物がないので、 それを求めに行きます。 食べ物は私が上げます程に 之からふたりして語り合いましょう。) 【飯米取り節】 カンツメ亡き後、そのお墓に花を供える 岩加那さんの姿を偲んで 『岩加那−ヤクメ だかちが いもりゅる 岩加那−ヤクメ 花くりが− カンティミが 墓いじ 花くりが』 (岩加那さん どちらに 行かれるのですか 岩加那さん 花を生けに カンツメの墓へ花を手向けに行くのです) 【岩加那節(いそ加那節の曲で)】 ・・・合掌。 |